9月初め
さて、9月に入りましたね。
目下、緊急事態宣言下ですが、12日までの期限は延長されそうです。
知り合いの店にはふらり一人で時折顔を出していますが、何件かはお店を閉めていました。
時代なのか、不運だったのか、本人の努力の問題なのか、判断はできませんが、只々寂しくなります。
あるお店の大将(マスター)と少しだけお話しをしました、
で、なるほどと思った話が。
結局何がボディブローのように効いたかを話すと、
金銭的な苦境、借り入れが出来ないとかは、まああるが、経済的苦境そのものではなく、
「仕事を奪われた、腕をふるう場がない、社会の中での役割がないという、精神的苦境が大きい・・・」と。
小さいながらも店を持ち、今年はあれをやろう、これをやろう、顧客を喜ばそう、という働くという「ロール」を奪われるのはかなりきつい。・・・・・。と。
なるほどな~と思う。
FIREみたいのが流行っているかどうかは良く知りませんが、昭和50年代産まれの古い脳ミソからすると、FIREなんか絶対にしない。
明日することがない、やることがない、苦しいけど目指す頂がない・・みたいな境遇に自ら行くことはない。
ワーカーホリックと言われればそうかも知ればないが、「世の中に選ばれなかった」=「役割を与えられなかった」経験がある僕からすると、顔面蒼白になるくらい忙しいのは、幸福そのものであると言える。
で、マスターとの話に戻るが、これは起業家間の世界だけでは当然なく、身近なところにいくらでもある話だ。
四六時中そのことを考え、同業のお店にも通い、研究をし、どうしたら目の前のお客様が「美味い!!」と舌鼓を打ち、その食体験を何度も味わいたいゆえに、またその店に通う。
その為に、腕を磨く、腕をふるう。そしてそのことを本人は頑張ってもいないし、努力もしていない。(そういう意識はない)
その腕を奮う場を奪われる、腕を磨く動機も奪われる・・・・のに耐えられないのはきっと辛いのだろうし、自分だったらきつい。
ナイーブな人ほどきついだろうなと思う。で、ナイーブな人ほど細やかで良質ななプロダクトをつくる。(と、勝手に思っている)
正直何も出来ていないが、業種は違えど「美味い!!」と言ってもらう為の努力をするのは勿論、「美味い!!」ときちんと表明し、社会の中で誰かが腕を奮うモチベーションの一部になり続けたいと思う。
良き物つくりをしていきたいし、同じくらい「良き消費者」でもいたいなと心から思う。
「あんたが通ってくれるから続けられたよ」と。