7月半ば バランス
梅雨入りして等しいですがトンと雨を見ていません。
このまま梅雨明けなんでしょうが、過去最高に暑い梅雨だったんじゃないか。
おかげで真っ黒です。
さて、集団の中での「ふるまい」に興味があり観察していると面白いなと思います。
し、如実に好き嫌いが分かれるなと思います。
ざっくりとした構成は
「提案者」最初に始める人、たたき台を作る人
「指摘者」出てきたアイデアに何か言う人
「観察者」言葉通り
で、あらゆる企業や組織、国といってもいいかもしれませんが、
おそらく構成比は1:100くらいだと思います。
これは組織の中だけではなく、自分自身の生活に置き換えても
「作品、アイデアを世に出す」と「目の前にある作品に指摘する」では圧倒的に後者的ふるまいが多い人生になる。
これは何故かを考えると、かなりざっくりいうと「コスパ」問題だと思う。
アイデアを出す、提案をする、作品を出すのは、時間と労力と想像が必要になる。
が、指摘はある意味「反射」に近いので全体としてはとても良いものでも一か所理屈が通らないところがあると、指摘が可能になる。
結構コスパが良い。しかも厄介なことに「粗を見つけていってやった感」も得やすい。要は気持ちよい。
この「最初に出す人」と「出てきたものへの指摘者」に優劣はないが、構成比に問題があると思っている。
指摘者が増えた会議では誰も言葉を発さなくなるし、
指摘者が大多数を占める組織は硬直化する。
また、「最初に始める人」へのリスペクトがない組織の場合、
「提案者」になるのはかなりコスパが悪い。
思考時間と想像力、掛けたリソースへのリターンが少なすぎる。
簡単にいうと「提案者になる」インセンティブがない組織がほとんどなのだ。
特に0リスク信仰が日本には多いような気がする。
昔、コロナ前に年末の日曜日にOB様と一緒に、せいろで蒸したもち米を、杵と臼で突き、出来立てのお餅を持って帰ってもらう・・というイベントを行っていましたが、今はおそらくできない。
・もしコロナが出たらどう責任とるんですか?
のウルトラパワーワードは強烈だ。
さて、ここで自分に問いたいと思う・・かつ、お読みの方にも問いたい
「指摘者が大多数のチーム」
「提案者が大多数のチーム」
「指摘者と大多数が概ね1:1の比率のチーム」
どのバランスが心地よいのか、かつ、どのチームに所属したいのか??だ。
おそらく指摘者が大多数のチームは居心地悪いのだろうなとは想像が付く・・・が、ほとんどの組織がそうなる。
前述したが自然に任せたらそうなるように出来ている。
何度もいうが「最初に始める人」はコスパが悪い。
もし一つ「コツ」を思いつくとしたら不完全な状態だろうがなんだろうが「まずは出す」しかないのだろう。
そして「最初に出す人」をリスペクトする文化を作る・・・しかない。
最後に「好き嫌い」をいうと「言い出しっぺ」の事が大好きである。
きっとあらゆるネガティブな反論も考え、全体を見渡し、それでも「最初の人」になると決めたのだ。
そういう人が囲まれた私の人生はきっと幸せである。