4月初旬 与えすぎて奪わぬように
さて、4月です。
ここ数日は寒い日々です。最高気温10度前後をウロウロしています。
為末大さんの言葉「与えすぎて奪わぬように」は至言だと思う。
会社、家庭、学校、部活、あらゆる場面で応用できる言葉だと思う。
学問を面白いと思えるのか、思えないのかは、結構学校での経験が大きいと思う。
当然、私は与えられた勉学、学問はきつかった。
能動的に動く前に、すべてが準備されていて、また、「小奇麗に穴埋めシート」になっていたりするものに心が動かない。
「よし、部屋を滅茶苦茶きれいにするぞ」の直後に「部屋を片付けなさい」と言われてしまった後のモチベーションに近い。
社会に出てからの学問は全て面白い。全局面で面白い。
社会の中で、必然にかられて学ぶ。いわゆる「学ばなければデッドエンド」というドキドキで学ぶ系がほとんど。
もう一つは、「これを学んだら社会に一刺し出来る」というワクワクが動機で学び始める。
どちらも内的に始める、能動的に始める。ドキドキとワクワクが強烈な動機にあり、どちらも痛みと共に始める。
余裕のある状態での学問がないのが良い・・と思う。
大人になって、学ばなくなる人が一定数いる・・・と聞いたことがある。
為末さんの言う、その当事者自らが気づく前に、「ただこれけやっとけば良い」と事細かに指示をしすぎると最も大切な「気づいて、動く、能動的な力」を阻害してしまう・と。
コーチング、ティーチング、マネージメントの難しさはきっとこの辺りにある。
会社を経営していると直面する。
短期的な結果、成果だけを求めると圧倒的にトップダウン型が良い。
が、長期的に考えると、そこに所属するスタッフから「痛みがある」「考える」「気づく」「学びに行く」「実践する」という、成果を上げていくRPG的な面白さを奪う。
これは問題だと思う。
デザイン力が足りない人に「デザインを学んでこい」というのはアホがやることだ。
自ら課題を見つけ、自分の足と時間を使い成長する以外実はない。
が、反面、事細かに指示をされないと、右にも左にも上にも下にも、動けなくなる人は一定数いる。
「で、どうすれば良いんですか?」とか、
「それはまだ指示されたことないんで~」とかが口癖の人だ。
要は「自ら動けない」
「能動的であることはげに面白く、成長速度が全く違う」を学生を含む社会生活の中で経験してこなかったのだろう。
本人だけの問題でもない。
この層にフォーカスしすぎると「与えすぎて奪う」組織になってしまう。
また、能動主体のチームにフォーカスしすぎると「動けない」集団になる。
周りの経営者などを見ていると、どこを重心にしようか、苦しみ迷いながら決定していっている。
当然僕もだろう。
個人的には、能動的な人の「気づいて動ける」という、宝物のような能力を阻害したくない。・・・寄りだなと思う。
「改良」「改善」「クリエイティブ」の余地のない「業務フロー」には意味がない。
”与えすぎて奪わぬように”は至言だと思う。