2月 初旬 誰が教育してくれるのか
年末年始休暇は自宅でのんびり派なので、結構しっかりと読書の時間が取れた。
パレートの法則など、信奉していた理論はエビデンス付きでしっかり否定されているのを見ると、勉強辞めちゃうとあっという間に化石だなと思う。
自分を教育するものはなにか?はふわっとしてしまい、定義しにくいですが、
「”時間”を含めた教育費は誰が支払い、誰が回収するのか」と考えるとわかりやすい。
教育から得られる知識やアカデミックな技術体系など知ることで、得をするのはいつも自分。
なので、基本的には「教育費」は自分持ち。
例外が2つあると思っていて
例外1・成人するまでの義務教育や公教育。
これは、国が愚かにならないよう、賢くなるように、と、国や公共団体など公が負担している。
例外2・社会に出てからの新人研修など
会社の研修で新人から研修費を徴収しているのを知らない。※もしかしたら世の中にはそういう企業もあるかもしれない。
教育を受ける側がむしろお金を貰える結構レアなケース。
これは、企業側の打算が当然あって「教育を通じて成長し、教育費以上の利益を還元してほしい」みたいな「お返し理論」
なので、基本的に「将来性」という定義もまちまちなギャンブルにベットするイメージだと思います。
特に日本では育てるリターンを感じられなくなると、他者(企業)から教育リソースをさかれなくなり、
どこかで、自分で情報を取りに行き、自分を教育するモデルに切り替えるタイミングが来る。
肌感覚でしかないですが30~34歳くらいで「自己成長モデル」に切り替える必要がある。
要は他者からの教育リソースを永遠に期待する「もっと教えて君」から「自己成長モデル」への切り替え時期。
自分で本を買い、自分で研修に参加し、自分で技術を磨く場に足を運び、自分で人脈を広げる。要は自腹を切り自分の時間を割く。
特に日本人の「自習癖」は世界的に見ても低いというデータも。
SNSから距離を取り、本を読み、人に会い、名画を鑑賞し、名建築を見に行く。
教育という名の遊びに興じる一年に。
遊興と事業と教育に確たる境界線などない。