12月半ば
毎年年末に配るカレンダーを作っているのですが、毎年福祉施設のまあるい広場さんと一緒に造っています。
まあるい広場さんに所属している方の絵をカレンダーにしているのですが、評判が良い。
そのまあるい広場さんの絵を利用してハンカチを作るプロジェクトが立ち上がり、
そのプロジェクトの予算をクラウドファインディングで募っています。(募っていました?)
ダブディビデザインさんHP↓
かなり周りくどく、わかりにくくてすいません。
そのクラウドファインディングに寄稿した応援メッセージを転載いたします。
(※ブログネタネタがつきたわけではありません。)
ここから転載 ↓ ↓ ↓ ↓
まあるい広場さんとの付き合いは7年前になる。
当時、その施設の中で毎日のように思うまま絵を描いているのを見学させて頂いた。
その時に見せてもらったある一枚の絵に惚れてしまった。
古臭く、ベタな表現を使わせてもらうと「ゾッコン」だ。
その絵は今、僕の会社の通りに面した場所に飾ってあり、毎日交差点で止まる何百台の車から眺められている。
それ以来、年末に配るノベリティは「まあるい広場さん」の絵を使ったカレンダーを作っている。
彼ら、彼女らが描く絵には邪気がない。
では僕たち「商行為」のど真ん中にある表現には…邪気がある。
「人に好かれたい」「多くの人に受け入れられたい「結果、お金を儲けたい」
要はマーケティングとしての表現なのだ。
商行為なので当たり前なのだが、後ろめたさを感じる瞬間がある。
繰り返すが、彼らや彼女たちの表現には邪気がない。狙いもない。思惑もない。作為も。
そこにあるのは、ただ、白いキャンパスを思うままに埋めていく、その純粋な身体性だ。
そして、誰からの評価も必要としない。
少なくとも僕にはそう見えた。
そして、その表現に憧れた。それは今も。
今回のプロジェクトは、ハンカチの中にその「表現」を映し出すと聞きました。
彼ら、彼女たちに出来て僕らに出来ないことがあるように、
僕らにしか出来ないことがある…と思う。いや思おうと思う。
自分と向き合い、内省の中から絞り出される彼ら、彼女らの無垢で無為な表現を、
社会の中で糸のように絡み合わせ繋げていくのは、僕らに出来る唯一のことかも知れない。
そして「ゾッコン」な人が一人でもうまれてくれたら、それは素晴らしい”循環”なのではと思う。
TVやYouTubeに映らないこんな静かなSDGSがあってもいいじゃないか。
まあるい広場様、ダビディビ・デザイン様にエールをお送りします。