11月初旬
11月です。
しばらく天気が良さそうですね。あと半月もしたらきっと寒い冬感が強まるのでしょう。
秋の最後を愉しみたいと思っています。
さて、「デザイン会議」みたいな事をやり始めています。
会議と名はついていますが、「会議」にはしない集まり。
会議は決める事が目的、要は「べき論」の積み上げをするのが会議になる。
「このいう場面ではこう振舞うべき」
「この図面はこう描くべき」
「引継ぎの資料は2週間前までに工務に渡すべき」
ETC
こんな決め事が数百あるのがまあ仕事になる。当然だ。ノリと気分で仕事をされたらお客様はたまったもんじゃない。
が、このデザイン会議は、会議にしたくなかった。
クリエイティブという「答えがあってそうでない」ものに関しては「決める」が邪魔をする。
べき論はいい事が一つもない。
当然、体系化されたロジックがあるのは知っているが、べき論が走りすぎると「闊達化された議論」から遠ざかる。
要は、それほど「自分が思うカッコよさ」を表明するのは勇気がいると言うことかもしれない。
アウトプットする側は評論される側である。それが自己を磨く。恥をかいた総量が自信になる。・・・・のは、当然。
アウトプットしたものに対してあ~だこ~だ外野がいうのはとても簡単だ。
現物が目の前にある以上、それ以外のパターンはいくつも思いつくし、粗や突込みどころなんか、幾らでも指摘できる。
が、自分が評論家側に重心を置くと、当然ながら成長は止まる。
は、おいておいて、デザイン会議は「会議」とは真逆のものにしようと思いそれを表明した。
要はその場では何も決めない。
ディスカッションー決めない
トークセッションー決めない
デザイン談義ー決めない
建築談義ー決めない
何かを得られるし、何かを与えられるけど、何も決めなくていい。
クリエイティブを伸ばす=反抑圧にある。
誰がやっても70点になるような図面の書き方、ヒアリングの仕方・・・なら
先生と生徒に分かれた授業形式がいい。
それは別の機会の方がいいんじゃないか。
自分がしているイメージは、友人との居酒屋で自然発生的に始まる「経営談義」のデザイン版
始まったばかりだが、うまく転がっていけばよいな~と思う。
で、メチャクチャ面白いのは「クリエイティブに全く興味がない人」もいるということだ。で、曰く
「正直いうと引き出し0段です。でもですね、パーフェクトにパクりきりますので上限引き上げてください。」
と。
そう、その生き方も良いと思う。
自らは何も生み出さない評論家よりは。