組織人
正直にいうとうちはかなり自由である。
出社場所も個々人、各々が考えていればいいし、直行直帰に許可もいらない。服装も場にそぐい、清潔感があれば何でもよい。
今、自分が何をやっているのかを上司に報告をしなくてよいし、日報も義務にしていない。
他社から転職した人が「びっくりする位、自由だ」と言う人もいる。当然ながら「もっと自由な会社もある」という意見も聞く。
かなり使い古された言葉だが、自由に行動していい人には当然責任が付きまとう。
自由であるいうことは主体性があり、自分が今何をすべきか。優先順位を明確にし、成果とは何かを理解し、その成果を出す期間と量も正確に把握し、そして何か起こった際には責任を取れる力量もある。というのが前提にある。当然だ。
これは自明だ。
右も左もわからない新人には責任はない。そして同じ総量で自由も制限される。
なんとなく頭の中にある、そのあたりのバランスを具現化するとこうなる。
組織の中では力量が無い人に自由は与えられない。力量が無い人がフリーになるのはありだと思う。全責任を自らがおうのだから。
力量が無い人が自由にやった後には、ミスやルーズさ、クレーム、他責の山が残される。
そして、その他責の山をリカバリーするのは、いつだって力量があり、より組織、社会、顧客に貢献できる層が多くの時間を費やすことになる。
優秀な人がお山の大将にならず「自分よりも優秀な人と仕事がしたい」と口を揃えて言うのは、そのリカバリーは社会にインパクトを残す類の業務ではないからだ。
「自分よりも優秀なチームの中で世の中に良いインパクトを残したい。」
これが基本的な望みだろう。
マイナスを0に戻すことに尽力しても社会はよりよく変革されることもなく、人生は好転しない。
また、力量はあるが主体的ではないリーダー層がいるというのも聞いたことがある。
誰かに指示されるのを待っている。そして指示には従順に従うが、そこから逸脱することはしない。「私は指示に従っただけです」という言質取りゲームに長けている。
①責任をとる力も器もないが「僕流」「私流」をやりたがる人。
②責任を回避する指示待ちリーダー。
大別するとこうなる。もしこの2者のような人が、組織の人員の大半を占めていたらぞっとする。
最近実感するのは「さあ、自由にどうぞ」と言って、高いパフォーマンスを叩き出せる人は「かなり限られる」ということだ。超少数派だ。
が、中にはハッとする瞬間がある。
あきらかに力量は足りていないのだが、責任感は恐ろしく高いスタッフもいる。
良き社会人になるのだろうな~と人ごとながら思う。
人は環境に染まるというが半分真実で、例外も当然ある。
経営者、トップの仕事はなんなのか。
真剣に真剣に真剣にエントリーマネージメントに心を砕くことしかないだろう。