批評家タイプ
社会と言ってもいいし、世間と言ってもいいが批評家タイプ・評論家タイプというのがいる。
特にその人たちを批判をしているわけではないが、まあ結構な割合でいる。
いくつか特徴があるように思う。
1つ目に自らが何かを提案、発信する側に極力回らない。プロダクトをつくる側に回りたがらない。プロダクト、自分発信の「デザイン」や「モノ」「意見」を発信する側になると、たちまち「批評される側」になる。批評家の基本マインドは減点方式なので、自らにもそれを課している。評価しあう関係ではなく、一方的な評価は無敵であることを知っている。「発議し決める側」に回らない。
2つ目に、批評をし酷評を仮にしたとしても、その酷評した「モノ」のクオリティを上げる事をしない。「これだったらこうすればいいじゃない。」という改善案は出すが自ら「解決」に乗り出すことはない。また、それに代わる代案も出すことはまれだ。失敗しようものなら批判にさらされる。基本的には責任をあまり追いたくないのだろう。「ほら、あの時ああいったじゃない。」というキラーフレーズが好きだ。自分の行動に不正解を出されるのを非常に嫌がる。真逆の人をいうと「あ、すいません。全然僕が間違っていました。」と、さらりと言える人ともいえる。恥をかける能力とでもいおうか。
3つ目に、意外と感情的であるという点もある。冷静に論理的に賢く分析していると思わせながら実のところ、批判の出どころは「目に見える不満」であることが多い。感情的な不満がたまり、その表現方法として批評という手を使う。冷静に分析しているという大義が欲しいのだ。基本的にプライドは高い。誰かを批評することにより、自らのランクを保つ意味合いもあるのだろう。
繰り返すがいい悪いではない。批評家は必要だと思う。組織の中にもだ。
が、批評家だらけの組織になったら大変だろうなとも思う。
批評家の対義語は実践家だ。(正しいかはわからないがそう思う。)
窓が汚れていたら「何でいつも窓が汚れているんだ」と叫ぶ人が批評家で、誰か見ていようが、見ていまいが黙ってふき取るのが実践者だ。
批評家の良い点は問題提起力と気づく力だ。今社会には、会社にはこんな問題があるよ~と。
批評家の最大の欠点はその事に対しての問題解決能力が低い事にある。
自分の力で解決できる事柄が大きければ批評などしない。
問題解決には、気づいた問題点を率先して解決しようと思う勇気と、問題点を解決できる腕力の両方が必要になる。
組織バランスを考えると10人の実践者に1人の批評家くらいがちょうどいいじゃないかと思う。
チームは同質化するのが常なので、批評家割合が増えると、一気にそっちが増殖してしまう。
率先して何かを「産み出す」側は批判・批評にさらされる。
SNSなど見ていると、最初に発言し、恥をかけるメンタルは今や貴重資源ではないか。
「会議の一番初めに発言できる力」とでもいおうか。
モノつくりの最前線では、顧客の批評にさらされて磨かれていくものしかないのだから。