「より良い」は苦しい
経営上、また、長くこの商売を続けていく上で、数字はとても大切だ。
(当たり前すぎるが)
数字、売り上げ、利益から逃げて、良い経営が出来るとは思えない。
かなり端折った言い方をすると、経営者の仕事は数字を作る事である・・・といえる。
が、実は数字は難しくない。いや、難しいは難しいがわかりやすい。終わりがある。
明確に1より2の方が大きい。2より4の方が大きい。
視覚化しやすいし、全員が同じ認識を持てる。4は4。4を2という人はいない。
3つの設計スタジオがあるのだけど、各スタジオの着工棟数に上限を設けている。
どれだけお客様が溢れかえっても着工上限を超えることはない。
仮にスーパースターが表れて一人で50棟受注できても、上限を超えて着工することを禁止している。
スタッフの中で勘の良いスタッフは「成長とは?」を疑問に思うこともある・・・・だろう。
去年は10棟、今年は15棟、来年は30棟・・・・みたいのが、よくある「成長」フォーマットだろう。
うちには、それがない。
純粋に数字だけを追うと、「その1棟」に向き合えなくなる。
もう一歩の「質」に固執できなくなる。
同じものの量産タイプになる。
各支店の着工棟数に上限を設けた理由は2点で。
まず一つ目は
各スタジオでの設計スタッフの人数を増やしたくなかった。
人が増えればルールが増える。リンゲルマン効果が生まれ「集団的手抜き」が起こる。
他責の文化が産まれる。
少人数で各々が持つコミットを強めたいと思ったからだ。
二つ目は、これは経営者の性格によるだろうけどあくまで、ニッチャーでいたいという点も大きい。
「みんなが大好き」をベースにすると最大公約数的な商品、サービスになる。
それは大手ハウスメーカーがやっている。そこは追えない。
僕らは「ある特定の強烈なファン」が産まれる商品・サービスが良いと思った。
「そこにあるニーズ」に応えうる企業であろうというのは15年前からそうだ。
と、いう訳で、純粋に僕らの売り上げのアッパーは期の始まりにはもう決まっている。それ以上になることはない。
では、こと売上に関していうと100のエネルギーのうち70で実現させられるリソースがあるとして、上限を超えた30はどうすれば??とスタッフに問われれば「より良く」とこたえている。
この「より良く」はなんてたって辛い。きつい。
数字は目に見えるし、フィードバックも受けやすいから頑張れる。目標値を作りやすい。努力が可視化される。
が、「より良く」は終わりがない。正解もない。程度もない。どこまでも永遠に改善出来ると言える。いつまでも改善させ続けられるので、ルーティン化しにくい。
デザインをより良く、店構えもより良く、提案の質もより良く、言葉の選び方もより良く、カタログでの伝え方もより良く、ヒアリングもより良く、プランニングもより良く、清掃の行き届きもより良く、永遠に続く。
部活動で「グランド10周走ったら今日はあがりな~」という指示はきついがありがたい。
が、「自分が心から納得出来たら今日の練習上がっていいよ」と言われたらきつい。
其々の納得度や視座の高さも違うし、抜こうと思えば今すぐ切り上げられるし、何よりもゴールの設定というものすごく難しいことを自分で考える必要がある。
そう考えるといわゆる経営者界隈でよくある会話の
「うちはノルマとかないんですよ~」という、
「うちの社内は自由で自主的にやるんですホワイトアピール」が後ろに透けてみえる言質は、かなりキツイ事を要求しているともいえる。
数字の明確化は「ゴールを設定してあげる」という、とても優しい施策と言えるのかもしれない。
「より良くしてください」という指示はかなりキツイし難しい。
「より良く」を、言語化し、ビジュアル化し、「あ、そうか、最後こうなればよいのね」とスタッフ全員が共通認識を持っている会社は優秀であり、何よりも楽ちんであるともいえる。
数字を示す。そして、終わりのない、実態のないように見える「質」にも、フィジカルを与えていく。
正解がないところに「今は、これが正解です」とある種無理やりにでも定義し続けていくことがまさに経営であるともいえる。
で、その「今はこれが正解です」は日々更新されていく。