9月中盤 父娘問答
※長文駄文私分になるので、閲覧注意。
娘は受験期である。
当然のことながら狂ったように勉強している。朝起きて学校に行くまで、そして帰ってきてから夜中日付が回る手前くらいまで。
こんな時期があったな~と思いたかったが、そういえばこんなに真剣に勉強したことはない。
「机に向かえる」は才能だ。と、たまに友人やスタッフと話すが、机に長時間むかえるのは本気(マジ)で才能(※向き不向きという意味)だと思う。自分は無理だった。
塾の帰り道、約1時間の運転時間があった。父娘の会話は一か月のうち、この時くらいだ。
当然、思春期もあるだろうし、親子で嬉々として会話を楽しむみたいな習慣もなんか気持ち悪い。
弊娘:第一問「勉強ってなんの意味があんの?受験とか。将来楽するため?」
とうとう来たな、と思った。が、一時間もあるのでごまかせないし、少しこみいった話をしようと覚悟。
父:回答「楽の定義による。自分が思う楽は”毎日同じ作業を同じ時間寸分たがわず9時ー5時座ったままこなす作業員”で、新しいことも創意工夫もいらず、いわゆる相手方との交渉もないっ作業でハレーションもない。要は色々な企業がアルバイトで済ましているような仕事。バイト生活40年続ける。帰ったら缶ビールと焼き鳥の缶詰で良い。これが自分が思う楽な生活。ストレスの対象が少ない。
ので、これを目指すのであれば今すぐ勉強、学習をやめてよい。
が、実は結構この道は幸福なのではないかとも思う。君はそこを目指すのか。」
弊娘:「う~んなんか違う気がする。で、勉強の意味は?」
父:回答「自分が思う到達点のようなものがあるとしよう。今の君にはまだないだろう。いずれ出てくる。この到達点に行くときに”学生時代に一歩でも近づいておくべき”か”社会に出てから目指すべきか”のフェーズの時間のずれと思えばよい。たとえば、100が到達点。そのための努力量を学生時代に60とか70こなしておくと社会に出てから30を埋めればよかったりする。が、社会に出た時に20だと、残り80を社会生活を営みながら埋める事になる。これは結構きつい。なぜなら、学生時代の1と社会生活を営みながらの1は50㎏くらいの重さのリュックサックを持ってるくらい違う。お金の心配もせず、時間もまあ有用に使え、例外はあれど親も元気。いわゆる”学生期”は軽装で山を登れる。私の意見はそのアドバンテージは活かすべきだと思う。長くなったが”将来楽をする”と今の君の勉強はリンクしない。が、近い将来、到達点、目標や夢と言い換えてもいいが、そこに向かおうと思った時に、学生時代に近いところまでいっておいた方が”有利”だとはいえる。かなり俗っぽい事をいうと”学歴””新卒時の就職先”と一番大事な”学習習慣”だ。小さいなりに社長をやっている自分からいうと”学歴”そのものというよりも”学歴が高いということは勉強や学習習慣が身についており、いやな事から逃げなかったタイプだな”と判断する。面接なんかで人は見抜けないから”学習習慣有り”で企業は判断する。また社会に出た時に周りにいる人間がどういうタイプが多いかも大きい。学習習慣がある人は周りにそういう人が多い仕事場を選べる。要は創意工夫や試行錯誤が習慣になっている組織や人が周りにいる環境だ。人は置かれた環境に影響されるから社会に出た瞬間にそういう人間が周りにいる方が”有利”といえる。学生起業とか極一部の例外を除き、このような環境に身を置く確率が増やすファクターとして”学歴”はまあまあ有用だ。
”社会に出たら学歴は関係ない。実力勝負だ”とは、今、私は口がさけても言えない。
が、これもすべて君が思う幸福の定義によるし、今後生まれる目標や夢の形による。」
話しながら中3の娘に言う話でもないなと思った。
弊娘:「ふ~ん、そういうことね」
父:回答「まあ、端的にいうと、俺みたいなるなよ。だな。余計な苦労をすな。」
弊娘:「まあね。」
しばし沈黙。
弊娘:「じゃあ、仕事って何やるの。一日中パソコンとかやるの?」
とうとう来たか。と思った。
父娘問答は続く・・・・・・