2026年5月終盤 暮らしと性能
さて、しつこいようですが暑い日々ですね。
5月にして30℃前後を行ったり来たり。
もうすぐ訪れるであろう梅雨があければ、いつものごとくの”覚悟の夏”が始まります。
さて、法律の変遷もあり、日本の住宅の断熱に関してはもはや”性能が低い家は作れない”がデフォですね。
住宅業界はレッドオーシャンのど真ん中ですので、「業界最高値争い」のコピーが並ぶ。
「家は性能」と言い切る一条工務店は潔いな、と思う。千葉ではぶっちぎりで売れている。
少ない窓と、小さな窓と、分厚い引き違いのサッシ。
ある観測点からみれば正解だといえる。
が、僕らはその過剰からは距離を取る。
”距離を取ろう”と、スタッフに言い聞かせる。
窓の外に見える新緑の木立の揺れは豊かさだと思う。
深い軒の下に現れる、時間とともに動いていく光と影の陰影は美しいと思う。
家の中から外に、視覚も体感もフラットに繋がっていく広がりは数字よりも広く感じる。
そして、その“広がり”は、性能表の数値にはなかなか現れない。
UA値も、C値も、大切だ。
それを目的化していない僕らだってUA値の平均値は0.4~0.45前後。C値も0.3~0.4前後だ。
が、この業界にいる人間としての問いがある。
「あなたが、この家に帰ってきたいと思う理由はUA値が高いからか?」
- 夕方、西日を避けた半屋外のデッキに風が抜けること。
- 雨の気配で庭木が少しだけ色を変えること。
- 朝、カーテンを開けた瞬間に、季節が部屋に入ってくること。
それらは定量化しづらい。
だから、競争の俎上に乗りにくい。
けれど、暮らしというものは、本来そういう“測りきれないもの”の総体なのだと思う。
昔の家のように「我慢こそ美徳」と言うつもりもない。
断熱も、気密も、空調も必要だ。
ただ、それらは目的ではなく、あくまで手段だと思う。
「断熱性能地域一番店!」そううたうのを否定しない。
僕らは距離を取る。
快適のための技術であって、技術のために暮らしを閉じていくのは、少し違う気がする。
窓を減らし、外を遮断し、空調効率だけを追いかけていく先にあるのは、“完璧な室内”かもしれない。
でも僕らは、その完璧さよりも、外部と呼応しながら揺らぐ豊かさに惹かれる。
- 春と夏の境界の湿った風。
- 軒下に落ちる夕暮れの影。
- 冬の低い陽が、奥まで差し込む床の暖かさ。
住宅とは、気候を遮断する箱ではなく、本来、気候と折り合いをつけながら暮らすための器だったはずだ。
性能競争の時代だからこそ、僕らは“数字にならない快適さ”を、丁寧に設計していきたいと思うし、そうやって進んできた。
もう一度問いたい。
「あなたが、僕が、この家に帰りたい理由は気密性が高いからか?」
そうではなかったはずだ。
お気に入りのチェアーに座った時に見える、その景色や、その近くに息づく家族の気配だったはずじゃないか。