2月中盤 メタ認知
2月中盤です。
今年は雪無しでいきそうですね。(千葉は)
寒いのは好きですが、雪が降ったときの交通系のバタバタが苦手なのでこのまま無雪で行って欲しいものです。
北の地域の友人たちに言ったら怒られそうですが。今年はすさまじいらしいですね。
青森のば~様のおうちも。ドカ雪で。
限界集落、高齢化、財源減で除雪もままならなく。
人が動けばお金がかかる。ただはない。
ミッドライフクライシスの年齢ど真ん中です。
それは当然で、色々理由を考えるとメタ認知強度があがる・・があるのではと思います。
20~30代後半までは「根拠などなくても自分はイケる」を唯一の拠り所に、無限の体力にかまけて走り抜けます。
メタ認知レベル10くらい。
が、40も後半になると体力の限界や、センス、知能の限界を知り、また、世の中のニュースも情報も状況も、どっちもどっち。が、わかり始めるので「自分の思い」にすら抑制的になる。
確固たる思いがなくなるともいえる。
世の中で一番強いエネルギーは「独善」であり「ストレートな欲」でもあるので、
「これは正しい」だから疑いもなくベット出来る。は強い。今ではそんな若者を見ると羨望すらある。
「自分すら疑う」というメタ認知レベルが上がってきた状態ではスピードもエネルギーも出ない。
が、メタ認知レベルがあがると大きなミスが減る。
私、そして社会から見た時に、もしかしたら自分が間違っているかも・・・と、気づく力をメタ認知とするならば、
エネルギーを失う代わりにバランス感覚は良くなっていく。
昨今、ニュースになっている、トランプさんやフジTV問題などを見ていると、そんなことを思う。
大きめのトラブルというかニュースになってしまう人は才に溢れすぎているのだ・・・きっと。
メタ認知を得る必要がない。というか場面がなかったのではと。
私が間違っているかも・・・と。思う場面が。
若い時はたった一つを信じぬいて走るのが良いと思う。独善は最強のエナジードリンクだ。
が、50歳を前にした凡人である僕らはそれ以外に何を獲得していかなければいけないのか。
哲学という、「個人の益」とはかなり遠いものが、過去から繋がりつづけ現存しているのはきっと、
こういうことなのだとも思う。
自分自身を頑張ってメタ的に眺めた時に、自分はまさにその狭間にいる。と思うことが多い。