個の時代 チームの時代
さて、長い梅雨も終わり、夏本番です。ちょっとびっくりするぐらい暑いです。
気温が上がればコロナも落ち着くのでは?という話もありましたが、どうやらむつかしいようです。
さて、世の中は知識労働社会に突入した。そして個の時代だ・・・と言われて久しい。
「考え、仮説を立て、紙に書き、徹底的に実行する。」
言ってしまえばこの4つしかやっていないのだが、そのサイクルもとんでもなく速いし、これは日本人は結構苦手だ。
個の時代と言われているが僕の考えは少し違う。
2~3年間で努力して身に付けたスキルも、とんでもないスピードで陳腐化する。学習し続け、スキルのアップデートの習慣のない人は一気に結果を出せなくなり、生産性を下げる側に回る。目まぐるしい。
昔から言われていることだけれども「ポータブルスキル」がやはりベースだと思う。
「ポータブルスキル」とは簡単にいうと、会社や事業、産業自体が変わっても持ち運び可能な能力の事だ。
うちでいう設計のスペシャリストが、お角違いな産業、例えば外資の保険屋さんに転職したときに「持ち運べる能力」のことだ。
いうまでもなく、設計の知識や設計スキルは持ち運んでも仕方ない。
どんな能力が持ち運べるか。
「考え抜き、仕事のセンターピンを探し当てる力」
「まわりの人間を巻き込み味方につける力」
「学習し続ける力・粘り強さ」
「アクティブに動き続ける体力とマインド」
みたいなものだろう。逆にこの4つを兼ね備えている業界初心者を採用しますか?と問われれば5000%採用する。世の経営者ならそうだろう。
どの職種にいっても絶対うまくいくだろうな~って人は、このような社会人としての基礎能力が高い。
少し前時代的なことをいうと、飲み会の場でそれらは顕著に現れたりする。
周りに目を配り、自分から話しかけ、時には自らピエロも演じられる。
一言でいうとチーム戦が得意な人といえる。
専門知識もスキルも同じように大切だが、それだけ出来る人は日本中に何万にといる。超競争。
そこに何かを掛け算出来ないと、トッププレイヤーがみている景色は見れない。
世界的にみても他の追随を許さないくらいオンリーワンなスペシャルな専門家になるか、
いくつもの質の高いスキルを掛け合わせたゼネラリストになるか。
の選択だ。
職場や会社内でしか通用しないドメスティックな能力よりも、普遍的で本質的な社会人基礎能力は絶対に身に着けておいた方が良いと思う。
ちなみに社会人基礎能力(ポータブルスキル)で最も重要な能力は2つだ。
まず「体力」。「体力がある」は社会人にとって最高のスキルだ。
もう一つは「メンタルの強さ」だ。打たれ強く素直というスキルはあらゆる業界で重宝される。
専門知識やスキルはgoogleに聞けばよいし、専門家に質問してしまえばよい。大工さんも10年の大工と40年の大工で40年の大工の方が腕が良い訳でもない。そこに相関関係がない。全然ない。
もっというと、能力以上のプライドはあまり持ち運ばない方が良い。意地は必要だが、能力にそぐわないプライドは、会って30秒ぐらいで周りに気付かれ敬遠され味方をなくす。
僕はサッカーが好きだが、20年前のサッカーと現代のサッカーと大きく変わったといわれている。
何が変わったのか。大きく二つだ。
選手自体のフィジカルが大きく上がった。ようは個人がトレーナーを付けて、戦略的に体を鍛える事が当たり前になった。弱点を補い長所を伸ばす「筋肉」を戦略的につける。
もう一つは戦術理解力がない選手は重宝されなくなった。ようはチーム内での約束事を忠実に実行できる選手がトッププレイヤーになっている。びっくりするくらい試合中の約束事が増えた(らしい)。
また、それを徹底しているチームが上位にくる。
先の話に戻るが、ただの個の時代ではなく、個の能力値は、戦術、戦略の為にいかに機能させるかが問われる時代だ。
その為には柔軟に自らの得意を変化させる必要が出てきた。
「私はこれが得意で、これしか出来ないからみんな私にあわせて動いてね」は今の時代ない。
有名なサッカー選手はチームが変わり役割が変わるたびに、大きくする筋肉も変えているらしい。
「個として優秀かつ、チーム内で機能させられる。」という各個人が戦術家足らないといけない時代になったということだ。
自らの強みを活かし、隣の人の強みを活かす。
毎年ヨーロッパで得点王のメッシですらチームの中ではロールを与えられる。フリーマンではない。
世の中は難しくも面白い時代になったのだ。
祈るような毎日の中でそう実感する。