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2020/02/02

チームの弊害

仕事とは大なり小なりチーム戦になる。

 

完全な個人競技というのはかなり少ない。必ず前後左右に関わる人がいる。

 

「後ろの人がいかに楽になる仕事をし、紡ぐか。仕事が出来る人はそこに想像力がある。」みたいな事は社内でよく口にするけど、まあ、そうだと思う。

 

逆に仕事が出来ない人は、完璧な人などいない事を知っておきながら前後の粗を探しだしいかに自分はミスをせず前後の仕事に問題があるのか、能力がないのか力説する。

 

チームが持つ一体感は好きだ。ある種凡人がパフォーマンスをあげる為には必要だと思う。

 

が、万能ではないとも思う。

 

特に日本人がそうなのかは知らないが、より強固に同質化する傾向があるように思う。

 

一部のトップダウンではなく、どちらかというとその場の空気がそうさせている。(ように思う。)

 

一体感はチームが勝つための手段でしかないのだけれども、いつしかそれが目的化する。

 

「仲の良い、ストレスのない環境の確保」が「チームのパフォーマンス」に優先される。

 

もっと俗っぽい言い方をすると「数字」よりも「空気感」、「指摘しあう関係」よりも「見て見ぬふり」が優先される。

 

「一体感」の弊害はここに尽きる。

 

パフォーマンスが低い集団なのに居心地がいい。往々にしてある。

 

中にいる限りにおいて幸福だが、一歩外に出るとただパフォーマンスが低い人となる。

 

その処方箋はないのか。

 

2つほど思いつく。

1つは、同業他社のトップランナーのKPIやPHと、自社を「数字のみ」で比較することだ。

数字以外は見ない。数字以外の社歴や市場、商品などはノイズになる。

社内のトップランナーも外部にいけば予選落ちというのはザラにある。

 

もう1つは外部からの流動性を高める。高い数字基準を持つ人材を多数派にしていく事だ。高い基準を持つ人が身近にいないと、「あの会社のあの人は別なのよ。スペシャルなのよ」と、どこかフィクションの世界になる。が、身近にいると「こうすれば良いのね」がリアルになる。

 

いわゆるトッププロの集団はわかりやすい。サッカーの日本代表などがそうだろう。パフォーマンスが低ければ外され、二度と呼ばれない。良いパフォーマンスをすればトップリーグから声がかかる。

 

試合を見に行くとわかるが、試合中は「何で走ってね~んだよ」「もっと追いかけろ!!」と、罵倒に近いテンションでお互いが言い合っている。が、それが普通で決して仲が悪いわけではない。そこに「これ言ったら気分を害しちゃうのかな~」みたいな関係はそもそもない。勝利という目的のために必死で妥協がない。

 

仕事は緊張と弛緩の連続だ。そして残念ながら毎日の「頑張ってます」「努力してます」など誰も評価しないのが社会だ。

 

アウトプット・プロダクトの質・パフォーマンス・生産性が高いのか低いのかでしか評価されえない。。

 

それを世知辛いと思うのか、はたまた面白いと思えるのかも、個人のセンス(感覚)になる。

 

和気あいあいも結構。が、それが目的化されたチームの行く先には、きっと何もない。

 

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